~栄光の王冠~ お父様が16歳で作られた詩です

み言

これが真のご父母様の生き方!

 これから紹介する「栄光の王冠」という詩は、お父様こと文鮮明氏が16歳の時に書かれたものです。(しかし、最初15歳と聞いたのですが・・・・・・たぶん16歳だと思います) 

 久しぶりに夫婦で参加することのできた日曜礼拝での説教の時間にこの詩を紹介されており、良いなと思ったので、後から見直し、この詩をノートに書き留めました。

 恩讐である日本を赦し、そして愛する。信じられない者までも信じる、お父様です。
 
 少しでもみなさんの心に届けばなと思います。

 

栄光の王冠

  お父様がどのような心情をたどって来られたのか、愛を感じられるといいですね。

栄光の王冠

私が人を疑うとき、私は苦痛を感じます

私が人を審判するとき、私は耐えられなくなります

私が人を憎むとき、私は存在価値を失ってしまいます
しかし
もし信じれば私は騙されてしまいます

今宵、私は手のひらに顔をうずめ、苦痛と苦しみに震えています

私が間違っているのでしょうか
そうです
私が間違っているのです

たとえ騙されたとしても信じなければなりません

たとえ裏切られたとしても許さなければなりません

憎む者までもことごとく愛してください

涙をふいて微笑みで迎えて下さい

人を騙すことしか知らない者たちを、

裏切りながらも悔い改めの出来ない者たちまでも

おぉ主よ
愛するという痛みを、私の苦痛をご覧ください

熱きこの胸に主の手をあてて下さい

私の心臓は深き苦悩のゆえに張り裂けんばかりです

しかし
裏切った者たちを愛したとき

私は勝利を勝ち取りました

もしあなたも私のように愛するならば

私はあなたに栄光の王冠をお捧げします

 

 

「ために生きる」ということ

 たった16歳で、このような心情になり、神様に祈れるなんて、すごいと思いませんか? 私が16歳の時なんてテレビゲーム大好きで女子でありながら恋話に夢中になることなくドラクエやファイナルファンタジーなどゲームに明け暮れておりました。そして、部活に夢中でした。

 世界平和統一家庭連合の教えの「ために生きる」そのものです。「与え、忘れなさい」です。
 もしもご興味のある方は、自叙伝を読んでみることをおすすめします!
残念なことですが、下っ端会員のおおもりは、まだ自叙伝を2周しか読んでいません。すみません!

 この教えを知ってしまったからには、信じることを忘れずに、愛の実践をし続けたいと思います。おおもりは信じる心を手に入れた!(ドラクエ風)

 私も栄光の王冠をいただけるように頑張ります!

 

その後、何度も私の目に飛び込んでくる

 このブログを更新した後、やたらとこの「栄光の王冠」が私の目に飛び込んでくるようになりました。ノートに書き込み、付箋を貼ったので、こまめに見るようになったし、講義のビデオでも見かけるようになったし(蝶野講師)、昔の家庭出発の修練会の資料を整理していた時にもこの詩が書いている紙が出てきたり、やたらと見かけるようになりました。

 「そうです、私が間違っているのです!」

 たぶんココを私に訴えかけるために、ずっと毎日のようにこの詩を目にするのだと思います。すべてのことは私が乗り越えるために与えられると考えるとすると、そうとしか考えられません。

 自己否定って難しいですよね。

 もう少しこの意味を考えていきたいと思います。 

 私には夫がいます。祝福結婚をしましたが、私は夫の大きな嘘を知っています。夫は私がそれを知っていることを知らないでしょう。その嘘を知った時は、とにかく落ち込みました。どうして言ってくれないんだ、と。相手は騙しているつもりはないのでしょう。夫は平気で嘘をつく人間でした。その場をしのげればなにをしたっていいという生き方を今までしてきたのだと知りました。いまだにそのことについて夫は私に言ってはくれません。自分の中で相手を責める毎日です。それが私が乗り越えなければいけないものだと勉強をしても、どうしても相手を責めてしまっています。乗り越えないと本当の夫婦にはなれませんね。そうです、私が間違っているのです・・・・・・(涙)。

 

 

自分の心に響くみ言に出会うことの大切さ

 み言にも「合う」「合わない」があります。このみ言は私の心に響きましたが、私の心に響いたからといって、これを読んでいるあなたの心に響くとは限らないし、その逆だってあり得ます。

 なので、自分に合うみ言に出会えるといいですね。ぜひ探してください。

 そして、そのみ言を実践していけるともっといいですね。生き方が変りますよ!

 

 

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